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坂をのぼるぼんぼりの灯
2015年12月27日

今年も九月の初めに越中おあわら「風の盆」行ってきました。
高橋治さん、坂東三津五郎さん、
今年は風の盆にゆかりのかたが亡くなられ
各町で追悼の唄や踊りがありました。



上新町の輪踊りでは
「雪洞の文字は高橋治くんがかいたものです」という
案内から踊りが始まりました。
抒情的な物語をせつなく思い返し涙があふれでました。

 

高橋治さんの「風の盆恋歌」
今年、あらためて読み返しました。



この小説がきっかけとなり「風の盆」に魅せられました。

 

町によってぼんぼりの意匠が違うのですね。



今町の「梅鉢の紋」です。
なんか、旅先で故郷のなまりを聞いた懐かしさです。

 

「風の盆恋歌」の中の好きな言葉(紫の色文字)を
携帯で撮った拙い写真とともにのせますね。

 

鏡町の踊りです。
稲の穂が揺れる様を表現する手のしぐさが優しげですね。



「単純な農作業の身ぶりをとりこんだ踊りなのだが、
素朴な動作の繰り返しには長い年月の磨きがかけられていて、
息をのむほどの美しさを空間に作って行く。」




「二列に坂をのぼるぼんぼりの灯の間を、
踊りだけが宙に漂いながら揺れて近づいてくる。」


 



「面と向かってはなにもいえない思いのたけも、
踊りの艶としてなら出せる。」


笠からみえるうなじって艶っぽいのです。

 

こういう瞬間、会場は歓声に包まれます。
その昔、花街(かがい)だったこの町から
男女混合の踊りが始まったそうです。



「この踊りは、動きの美しさより、
止まった時の線の美しさを見せるものなのね」
えり子が都築の耳にささやいた。




「この踊りには足音がない。」


大きな動きの着地の時にさえも、男性も足元が軽やかなのです。

 

「胡弓は歌が掬いきれなかった情感を訴え続けるように聞こえる。」
「胡弓をひく男は、自分の出す音色に酔ったように眼を閉じていた。
略)中腰に構えた自分の体を、反対の方向にひねり切る。」


なんともせつなくなる音色です。
宵も深まった頃の流しの踊り手さんや演奏者さんは
「自らに酔っている」風に見えます。
その姿に浪漫を感じます。

 

諏訪町本通りは、『日本の道100選』に選ばれています。



「八尾町には、坂の町という別名があって、
ゆるいくの字なりの急な坂が、奥へ奥へとのびている。」
「道の両側に、二メートルほどの高さのぼんぼりの列が、
坂ののぼる様を見せるように並んでいた。」



深夜、東新町の踊り流しです。
早乙女姿は、この町の少女だけの衣装です。




「エンナカ」と呼ばれる道の両側の溝を、
水が勢いよく流れる音がします。


 

零時を過ぎて街が少し静かになると水音がいっそう大きく響きます。



「坂の町であるばかりでなく、八尾は水音の町なのだ。」
「年齢とともに経験があって細やかな情感を
織り込んでゆく。」




八尾の造り酒屋で新酒ができたと杉玉が吊られていました。

 

「夢うつつ」なんと幻想的で美しい時間だったのでしょう。
この橋を渡ると現実の世界へと戻ってゆく気がします。



「普段はひっそりと息をひそめた町である。
ただ、年に三日だけ、別の町になってしまったような興奮が来る。
そして、町の誰もがその三日間を見つめて生きている。」


来年も、幻想的なお祭りへときっとでかけます。

 

「風の盆」の記事をかきたかったのですが
お祭りの余韻に浸る間もなく秋の婚礼繁忙期に入りまして
機を逸していました。

 

直木賞作家の高橋治さんは、四高の出身ということで
金沢を舞台にした作品も多くあります。
今日のblogは、「風の盆」へといざなってくださった
高橋治さんに哀悼の思いを捧げかきました。
(とてもせつなくなって泣きながら鼻かみながら、でした)

投稿者 rin5chan : 2015年12月27日 カテゴリー: 和ごころ文化, 気まま図書館 | コメントはまだありません »

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