「御徒の女」 | 2017年8月17日 |

今日は、野田山で利家公の正室
おまつのかたの命日から400年の
墓前祭があったとのことです。
おまつのかたのお名前は松子さんだったのですね。
表紙がきれいな中島要さんの「御徒の女」を読みました。
江戸の下級武士の家の女の一生が描かれています。
娘が結婚して妻となり嫁となり、
子供が成長して姑となり、それぞれの立場で
考え方や感じ方が異なります。
例えば、嫁と姑、
思い違いや行き違いが多々あるのですが、
予想もしないようなお互いの思いに泣けました。
また、男の子を持つ母親の思い
そして、子供が母親を思いやる気持ちってのも
今も昔も変わらないのかなと感じました。
江戸から明治へと武家社会が
崩壊してゆく時は武家にとっては
天地がひっくりかえるような
出来事だったようです。
主人公の栄津が、江戸から東京へと呼び名が変わることを
将軍のお膝元の「江戸」から、
東の都の「東京」へ。
まるで「京の分家」と言わんばかり
そして、江戸を離れることを、都落ちと嘆きます。
読後、石川県の由来について知りたくなりました。
廃藩置県があって半年間は
なんと!金沢県という名前だったそうです。
その後、美川に県庁が移転したので
石川県という名前になったそうです。
で、石川の名前の由来は上流から
石が流れてくることから石川と呼ばれる
手取川が美川に流れていたからなのだそうです。
美川に県庁があったことは知っていましたが
金沢県にはびっくりでした☆”
あと、松子さんも初めて知りました。
2017年8月17日 カテゴリー: 加賀百万石のしきたり ならわし, 気まま図書館 | コメントはまだありません »
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「黒い結婚 白い結婚 」 | 2017年8月13日 |

「結婚は墓場か、楽園か」というサブタイトルの
七人の作家によるアンソロジー両A面の
「黒い結婚 白い結婚 」を読みました。
半分くらいのところで活字が
逆さまになっていて製本ミスかとびっくりしたら
ああ、白い結婚は裏から始まるんだねでした。
黒い結婚から読みました。
深沢 潮さんの「かっぱーん」は
現実にこういうことがあるんじゃないかしらと
うすら寒くなりました。
そして、白い結婚へと。
成田名瑠子さんの「いつか、二人で。」が
大いに泣けました。
七つのお話が綴られているのですが
この作品だけ読めたら十分っていうくらい満足でした。
読後、なんとも優しい気持ちになれます。
辛いことがあってもきっと
報われる日が訪れるんだって思えました。
アンソロジーとは、「異なる作者による
詩文の作品集」ということですが
「いつか、二人で。」は、風や光を
感じることができる詩のように美しいお話でした。
結婚は墓場か、楽園か
黒い結婚から読むか、白い結婚から読むか。
オススメのは黒から白へです(^O^☆♪。
金澤syugenはお盆も変わらず
営業いたしておりますのでお気軽に
お問い合わせくださいますように。
2017年8月13日 カテゴリー: 気まま図書館 | コメントはまだありません »
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記憶に縫いとどめる | 2017年8月11日 |

淳子の庭園紀行~富樫薔薇園編~の三日目です。
ドレスのように優しい風合いの薔薇が
耀を纏いさらなる美しさです。
甘くふわふわと立ちのぼる薔薇の香りを
記憶に縫いとどめます。
薔薇園でみる夕陽がとても好きです。
橙色の光が土に溶け合っている様子を
あきもせず眺めてると時間がのびてゆく感じがします。
「オードリー・ヘップバーンの庭園紀行」という
テレビ番組があったことをまねて三日間に
渡って淳子の庭園紀行でした。
「オードリー・ヘップバーン99の言葉」の
裏表紙です。
笑顔はアンチエイジェングにもきっと効きます☆”
この本の中ですごく好きだった言葉です。
身にまとう服はわたしたちにとって、
不安を鎮めてくれる、大事なものでした。
きちんとした服を着ることで服に守られるような気がするんです。
勾玉を身につけたのは、他領地の民への
威嚇であったと聞いたことがあります。
「こんなきれいな石もってんだぞ!」
と、立派な勾玉をつけで出かけたそうです。
衣は、時に勇気づけてくれます。
薔薇公園では、たえず係の方が
お世話をしてくださっていて夏の薔薇が
静かに咲いています。
秋が来て穏やかに豊かに咲き誇る薔薇も楽しみなことです。
2017年8月11日 カテゴリー: 金沢ちょこっと散歩と花ごよみ, 気まま図書館 | コメントはまだありません »
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淳子の庭園紀行 | 2017年8月10日 |

昨日に引き続き、淳子の庭園紀行~富樫薔薇園編~です。
豪勢に咲き誇る薔薇をスマホで撮りました。
花の生命力、土のパワーが感じられる
薔薇園を大切に思っている人は多くいらっしゃると思います。
春から度々、薔薇園に出没しておるのですが
この短冊がどんどん増えています。
みんなが楽しみにしている薔薇園の樹を
切ることないのに、、、と、とてもとても残念に思います。
「オードリー・ヘップバーン99の言葉」の中で
日本の方は、むやみに木を切ったりしない。
もし木が倒れていても、自然にしておいて、
その上に植物が生えるのを待つ。それは素敵なことだわ。
京都の苔寺がお好きだったそうです。
また、
わたしの全世はきっと日本人。それほど、日本が好き。
人や自然を大事にする女性だったそうです。
大切なことですよね、自然に優しくできなきゃ
人にも優しくなれないと思います。
淳子の庭園紀行は、明日に続きます。
2017年8月10日 カテゴリー: 気まま図書館 | コメントはまだありません »
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「オードリー・ヘップバーン99の言葉」 | 2017年8月9日 |

図書館で借りた酒田真実さんの
「オードリー・ヘップバーン99の言葉」を
読みました。
戦争は悲惨です。
わたしたち家族はすべてを失いました。
家も、お金も、家財も、
そして、かけがえのない大事な人も。
戦争は「どうしても失いたくないもの」を、
当たり前のように奪っていきます。
その生い立ちは、悲惨なものです。
戦争で惨たらしく家族をなくし
残された母親と飢えに苦しみ
チュ-リップの球根を食べていたと。
八月は平和について考えることが多いですよね。
愚かな戦争が起こりませんようにと切に祈ります。
晩年のオードリー・ヘップバーンが
危険をかえりみず熱心にユニセフの
活動をしたことは有名ですね。
自然と土を愛した素敵な女性です。
小さな花を好きな理由。
それは、凍てつく冬の間、じっと耐え、
そして春になると再びつぼみを付けるところ。
その姿は、人が困難な時期から、立ち直るのと同じ力だわ。
酒田さんは
「庭好き」が高じて、世界の美しい庭を紹介する
「オードリー・ヘップバーンの庭園紀行」という
テレビ番組がシリーズ化されています。
と、この本の中で書いています。
毎年、蕾をつけ花は咲きます。
繰り返しなのだけど、花を愛でる度に
新鮮な感動があります。
金澤syugen近くの富樫薔薇公園で
スマホで撮った写真を紹介しますね☆”
ハマナスの花です( •ॢ◡-ॢ)-♡
ハマナスもバラ科なのだそうです。
淳子の庭園紀行~富樫薔薇園編~は
明日に続きます。
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「眠れない夜は体を脱いで」 | 2017年8月6日 |

寝苦しい夜が続いていますが、エアコンには頼らずに
眠るようにしております。
そして、毎朝、暑くて目覚めますo(>_<)o。
夏の朝焼け、清々しいことです。
手前の細かく綿をちぎったような雲が
ニョッキのようなカタチをしているなぁと
眺めていました。
彩瀬まるさんの「眠れない夜は体を脱いで」は
自分の人生に不満を持っている五人の
老若男女それぞれが主人公の短編が繋がってゆきます。
男はこうあるべき女はこうでなきゃという
男女という性の呪縛がテーマになっています。
「マリアを愛する」は、ホラーなのだけど
とても好きなお話で読み進むうち
登場人物の恋の告白を応援していました。
「鮮やかな熱病」では、20代後半のめぐみが言います。
「男女っていう役割を脱いで、
ただの対等な大人同士として、
尊重しあえる関係を作りたい」
「もし結婚するとしたら世界一の
親友だって思える人がいいです。
その上で恋をしたい。」
互いに敬えるというのは、理想的な
関係だろうなぁって感じました。
「真夜中のストーリー」では、ごっつい体型の
幸鷹が華奢な愛らしい少女のアバターを作り
仮想の世界を楽しみます。
宝塚の男役のしぐさが実際の男性には
ないような潔さやかっこよさがあったり
歌舞伎役者の女形が本当の女性より
しなやかで艶っぽかったりみたいなもので
異性への“願望“が色濃く反映されるのだと思います。
顔も名前も年齢も知らないのに、
仕事や性格、思想信条、隠された魂に、
気づかれないまま触れている。
自分が没頭しているインターネットとは、
きっとそういう場所なのだ。
確かに、人は多かれ少なかれ
こうあるべきこうありたいと自分を
演じているところがあります。
ありのままでと言うのが何より難しいことで
ちょっぴり照れくささを感じることもあります。
五つのお話はすべて結末では
主人公が明るく未来への第一歩を
踏み出すのが伝わってきて
読了は清々しい気分になれました。
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「赤いゾンビ、青いゾンビ。」 | 2017年8月2日 |

夏の夜は怪談ですよね。
川上弘美さんの「赤いゾンビ、青いゾンビ。」は
ゾンビと言いながら決して
おどろおどろしいお話ではありません。
作り話の中には時々は現実のことも
あるんだろうなと読み進んだら
あとがきで
たいがい、ほんとうのことなのです。
と言うじゃありませんか。
些細な日常をすくい上げ
ユーモアの着色を施している感じです。
例えば、宴席でも喫茶店でも
接待さんにもウェイトレスさんにも
友人知人間でも
なぜかお酒もお水も注いでもらえない
と、いうことが重なります。
五回も続くと慣れてきて自分で注いでいると
霊感があるという女性から
「背後に小さな何かがいますよ」
そして
「何かをこう、押し戻そうとしている、
うっとうしいおじさんみたいな顔の、小さな何かが」
と言われます。
その状況を想像して笑いました。
あとがきの中では
読者のみなさまの身の回りでだって、妙なことは、
いつも起こっているのだと思います。
読み終わったあと、過去に我が身に起こった
「不思議」や「妙」や「謎」を
思い返すことにしました。
おっちょこちょいな友人の予想外な行動
子供のいきなりなメルヘントーク
自分の自信満々な勘違い
猫のへんてこりんな行動などなど
あれってなんだったんだろう
と、クスクスと笑って幸せなキブンになりました。
「赤いゾンビ、青いゾンビ。」は夏の
お疲れの時にオススメの一冊です。
現実と空想の曖昧な境界線を楽しめます。
あ!
「小さなおじさんがいる?」と思った瞬間は
過去確かにありました。
ウチの場合いそうなのは台所です。
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「起終点駅(ターミナル)」 | 2017年7月30日 |

この週末、あちこちのひまわり畑でイベントが
開催されているそうです。
きっと、きれいでしょうね。
鱗雲が浮かぶ少し茜がかった空に背の高いひまわりは
昨日、金澤syugenそばで撮りました。
桜木紫乃さんの「起終点駅(ターミナル)」を読みました。
六編の短編はそれぞれ桜木さんならではの
人間臭さを感じるおもしろさがありました。
中でも「たたかいにやぶれて咲けよ」が好きです。
20代の新聞記者が、歌人で生涯独身だった
中田ミツに取材するため老人ホームを訪れます。
ミツが矍鑠としていてやたらカッコいいのです。
「やりたいようにやってきた
生きたいように生きたいように生きてきたくせに、
終わりだけ人まかせなんて、恰好悪いじゃないの」
と話します。
ミツが82歳で亡くなり、記者がミツの姪のもとに取材に行くと
「ミツさんは、長いことわたしの父と関係があったんです」
「母は気づかないふりの上手い女で、
父はその母に輪をかけて気づかれていないふりの上手い男だった」
「誰も不幸じゃなかった。母も父も、ミツさんも(略)」
「ひとがそれぞれの想いを守り合うと、もめごとなんか起きないの」
男女の愛情には“恋愛”とはまた違う
関係があるのかもしれないと感じました。
ミツが作った短歌
「たたかいにやぶれて咲けよひまわりの種をやどしてをんなを歩く」
「恋愛を「たたかい」と詠み、敗れても咲けと己を叱咤する。」
と、いうことだそうです。
姪はミツの店でバッタリ父親に出会ったことがありました。
「いいわけをしない男の人を、あのとき初めてみました」
うろたえない男は桜木紫乃さんの理想なのでしょうね。
桜木さんの小説にはいつも寡黙で
渋い男性が描かれています。
晩年、施設に入る前のミツは、
売れない小説家の47歳年下の男性と同居します。
「あなた、召使いよ」
と二人であちこち旅をします。
「ひまわりの畑の中を歩いてみたい」
ひまわりの里では、
一面のひまわりの中で
「ソフィア・ローレンになった気分」
と、ミツがはしゃぎます。
これが二人の最後の旅になります。
82歳の老女は濃い赤の口紅の似合う
凛とした女性でした。
「起終点駅」は、北海道の情景の描写が美しく
桜木紫乃さんならではのからみつくような
湿度の高さを感じる物語達でした。
追記
ソフィア・ローレンの「ひまわり」は
ずっと昔に観たことがありますが
今、観たらもっと感動するんだろうなという気がします。
2017年7月30日 カテゴリー: 気まま図書館 | コメントはまだありません »
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「下北沢について」 | 2017年7月25日 |

吉本ばななさんの「下北沢について」を
図書館で借りて読みました。
自分をどこか見知らぬところに
連れていってくれる乗り物としての本に、
私たちはきっと、ずっと恋しているのである。
そして、一生片想いで追い続けるのである。
もうすごい名言ですね。
私の読書好きの理由は
「違う人生に瞬間ワープできるから」です(*^▽^*)。
ゆっくりと考えること、考えに確かに句読点を打つこと。
それは、きっと、心にとって栄養のようなものに違いない。
お茶を飲む時間、ごはんのあとにぼんやりする時間、
そんなときに読む本は発見に満ちている。
夕食後、本を読むことが多く
(読みだすととまらなくなるのが困ったもんです)
本を読みながら色んな事
あれこれ想像をふくらますのが好きです。
(集中してないってことかしらん^^;)
吉本ばななワールドが好きです。
もっと深く自分の中にダイブして、
宝物をいっぱい拾ってくる人生に
なることを、深く強く祈るばかりだ
愛をもらって、ありがとうという
返事をして、なにかが循環する。
なにより共感できたのが息子さんのことを
人間がこの世にひとり増え、
同時に私の人生に深い友だちがひとり増えた。
なんて不思議なことだろうと私は思った。
私の体の中にいたものが外に出て
育って別の人間として歩んでいる。
抱いて歩かなくてはいけなかったのに
今はもう私の背を追い越しそうだ。
これ以上の不思議はない。
以前読んだ、エッセイの中でも
息子さんへの想いに共感できるものありました。
我が坊主とは、シルクドソレイユ・
お芝居・ハートウォーミング系の映画・
動物好きというとこで趣味があいます。
誰よりもおもしろおかしく話せる相手です。
このエッセイの中で最高に好きだった言葉は
「一度でもだれかの天使になった人は、
きっと幸せになる」そう信じている。
下北沢の街で出会う人やお店のお話は
とてもとても温かく縁~えにし~と
いうことについて想いを巡らせました。
エッセイには下北沢の商店街のお店が
何軒もでてくるのですが、なんとなく
イメージは昔、母と一緒に行った
近所の新竪町商店街なのです。
もちろん大和も行ったけれど
私達は、母の顔馴染みの店主さんも多い
シンタテでよくお買い物をしました。
さて、エッセイの京都のカフェが
でてくるくだりで新竪にある
「イハノハ」さんを思い出しました。
自然な食材で心がゆったりするお料理を
だしてくれるお店です。
明後日はイハノハさんであった
オーガニック野菜のイベントのお話をかきますね。
2017年7月25日 カテゴリー: 気まま図書館 | コメントはまだありません »
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「政略結婚」 | 2017年7月19日 |

北國新聞に掲載されていた高殿円さんの
「政略結婚」が単行本化されました。
その昔の結婚のしきたりや
武家や華族のならわしなどが描かれていて
一般平民としては興味深く読みました。
「てんさいの君」は、江戸時代末期に
実在した加賀前田藩の親戚である
加賀大聖寺藩の利極公のもとに
嫁いだ勇姫が主役です。
物語は金沢の街から始まります。
前田家の側室のもとに生まれた
勇姫が住まいする金谷出丸は
今の尾山神社さんのお隣にあり
そこからは、専光寺浜の廻船が見えて
波音が聴こえたと言うのです。
尾山さんの灯りを目指して船が
金沢の港に着いたと聞いたことはありましたが
波音まで聴こえていたとはビックリ!
勇姫が金沢から江戸に嫁ぐ時
私の輿より前を行くのは貝桶と
呼ばれるもので、貝はぴったりと
合うことから非常に縁起がよく、
私が先さまへ御輿入れ前に
運ばなければならないしきたりだった。
貝桶は今も花嫁様のお衣装や
箱せこに描かれる絵柄です。
写真は、隆弘さん&恵子ちゃんの
「花貝あわせの儀」です。
美しい絵柄の貝を貝桶へと納めていただきました。
建姫のお輿入れでは
幸い菱というめでたい模様が織られた
白い装束を身につけるのがしきたりである。
菱は堅いに通じ、夫婦の絆、お家同士の絆、
お家同士の絆がかたくなるよう、
婚儀のお道具などもすべてこの菱のかたちにつつまれる。
写真は、前田家ゆかりの宇多須神社さんから
十月亭さんへ花嫁道中でお運びの
ヒロキさん&イクヨさんです。
イクヨさんが育った板橋は、
前田家の下屋敷があったことから
橋や公園、施設に加賀や金沢の名前がついていたそうです。
建姫の嫁入り行列では
しゃんしゃんという鈴の音に合わせて、
行列がゆっくりと進み始めた。
鈴の音がいいとされるのは、
かって源氏物語の須磨の巻で、
源氏の君を乗せた小舟が、
その鈴の音をたよりに明石の君の
屋敷に流れ着いたといういわれからである。
写真は、魔除けの鈴をテーマにされた
賢一郎さん&由美子さんのケーキです。
辻口博啓さんプロデュースで
飴細工で鈴のデザインです。
個人より家のために生きることが
当たり前だった時代。
ご縁をとりもつことが女の一番大事な仕事であった。
病気で若くして死ぬことも多々あって
また、お産が命がけで、生まれたとしても
赤ちゃんが無事に育つことが困難だった
こともあって「世継ぎ」が
お家存続のために絶対なのです。
そして、「結納」や「結婚の儀」がとても
重大な意味をもつものだと言うことが伝わってきます。
二章「プリンセスクタニ」は、明治から大正にかけて
九谷焼復興に力を注ぐ小松子爵の万里子が主役です。
洋行帰りの万里子が学校で上流階級の
女学生ならではのマウティングされるの
だけどかわしかたがカッコよく小気味良かったです。
三章は「華族女優」は、大正から昭和
激動の時代に没落した伯爵家の令嬢が
映画女優へと転身し戦中戦後を
逞しく生きる花音子が主役です。
花音子は、平成の世でも女優なのだとか(*^▽^*)
モデルは誰なのだろう
と、考えるのも楽しかったです。
中裏表紙のてんさい(大根)の絵。
「てんさい」の絵柄の九谷焼の皿が
どのお話にも登場します。
それぞれの時代の女性の
個性的な生き方が描かれていて
三つのお話が少しづつ繋がっています。
六月一日からは、金沢での挨拶はすべて「おあつうございます」となる。
本当に、おあつうございますね。
気になっていた小説だったので
晩酌もこらえてサクサク読みました。
2017年7月19日 カテゴリー: 加賀百万石のしきたり ならわし, 気まま図書館 | コメントはまだありません »